だれに褒められるわけでもなく、やり続けたいことはありますか?
褒められると、うれしい。褒められると、がんばりたくなる。
「着ているその服いいね」と言われて、「えっ、そうかなあ」と言ってニヤっとする。「最近、がんばってるね」と言われて、もっとがんばろうと思う。きっと、そんな感情や経験は誰にでもあるだろう。
褒められると、気持ちが上向きになるだけではありません。褒められると、行動の結果までよくなります。ネズミを使ったこんな実験があります。※1 ネズミに迷路を覚えさせるため、できたらご褒美のエサをやり、できなかったら罰としいて電気ショックやネコのにおいを与えるというものです。
次の3つのなかでネズミがもっともはやく迷路を覚えたのはどれでしょう?
1.報酬(褒める)のみ
2.罰(しかる)のみ
3.報酬と罰の組み合わせ
成績は「1〉3〉2」の順番になるそうです。つまり、褒めるだけという方法がもっともいい結果を生むのです。もう、褒めるって最強ではありませんか。「世界の教育が褒めるだけであれ」なんて思ったけど、最強と思えた「褒める」にも毒の側面があるという。
たとえば、ダンスが好きな子どもに「上手だね」「えらいね」と褒め続けることは危ないという。誰に指図されるわけでもなく踊る子どもは、もう踊りたくて踊りたくてしかたないから踊っている。理由なんてないのです。
でも、そこをオトナが褒めると踊ることの意味が変わってきてしまう。「あれ、ぼくって褒められたいから踊ってるんだっけか?」。褒められるためなら、手段はダンスでなくてもよくなる。それによって、内側からふつふつと湧いていた踊りへの情熱が失われてしまうのです。
じゃあどうしたらいいの?って思うでしょ。この場合、コミュニケーションを変えればいいそうです。たとえば、「踊ることって気持ちいいよね」とか、直接ほめるのでなく、一緒によろこぶようなコミュニケーションの方法です。
でね、最初に書いていた「だれに褒められるわけでもなく、やり続けたいことはありますか?」に戻ってくるんですが、この誰にも褒められないで、やりたいことがあるってすごいなあって思ったわけです。
周りからの評価をエネルギーにするんじゃなくて、自分のなかにある熱がエネルギーとなって動いていること。好きで好きでしかたのないこと。でもきっと好きの理由をうまく説明できないこと。
やり続けてるうちに褒められることもあると思うんです。でも、褒められるためにやってるんじゃなくて、もう自分がやりたいからやってること。そんなもんが自分にあるのだろうか。
考えてみれば、この「The U」ってウェブマガジンはそうかもしれない。だれかに褒めるられることをまったくといっていいほど目的としていない。褒められれば、うれしいけど、それよりも自分がやりたいからやっている。
今日も読んでくれて、ありがとうございます。
あらためて聞きます。だれに褒められるわけでもなく、やりたいこと、やり続けたいことはありますか?
※1『パパは脳研究者』子どもを育てる脳科学 池谷 祐二