渋谷駅の下りエスカレーターを使ったとき、左右どちらに寄るでもなく、ど真ん中に立っている男性がいた。急いでいたもんで、「すいません」と声をかけるも、はじに寄ってくれない。もう一度「すいませーん」と声をかけても、寄らない。ああ、この人は真ん中にいることが正義なんだ。
仕方なく、男性のからだに1mmも触れないように、からだをひねり、横をとおりぬける。
すると、「チッ、チッ、チッ、チッ、チッ」と、ぼくがエスカレーターの下に行くまで、舌打ちを鳴らし続ける男性。人は正義に立ったとき、いちばん怖くなる。
ふと、ふりかえってみると、彼の近くには鳥が集まっていた。「チッ、チッ、チッ、チッ、チッ」が鳥にとって求愛の音だったのだ。鳥に愛される人でした。
ウグイスの「ホーホケキョ」には、どうやら2つの意味があるらしい。「求愛」と「縄張り争い」だ。やさしく「ホーホケキョ」と鳴いてるときは、求愛。つよく「ホーホケキョ」と鳴いてるときは、縄張り争いだ。
彼やウグイスのように、同じことばや声で「求愛」にも「縄張り争い」にもなもなるというのは、めずらしいこと。ふだん人間は何をことばにするか選ぶことができる。愛を口にするのか、憎しみを口にするのか。
読んでくれて、ありがとうございます。
ぼくは好きな人のために、ことばも時間も使いたい。あなたは、ことばを何に使いますか?
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