なにかイヤなことをされたら、ムッとしていい。
イヤなことがあっても顔に出ない人、出せない人は、まわりの人にとっては都合がいい。なにをしても、させても、罪悪感を感じずにすむ。でも、当の本人にとっては都合よくない。
その顕著な例が、電車のチカンだ。チカンをされてイヤな顔ひとつできなかったら、ていへんだ。
「イヤな顔ひとつせず」という褒め言葉があるけれど、「イヤな顔ひとつできない」のは、ある意味で機能の欠陥ともいえる。
先日、こんな話になった。ある男性について「あの方って、どんな方ですか?」とぼくが聞くと、「うーん、なにを頼まれても、平然とした顔でいられる人」とその男性を知る人が答えた。
平気な顔をしていられるその男性には、みんなから「あれやって、これやって」と次々と仕事が降ってくるのだという。たのしそうな顔をしている人に仕事は舞い込む。
人生のなかには、「イヤな顔ひとつせず」に、無理をする期間もあるだろう。でも、あとでコロっといかないように、つらいと感じたら、ことばに出したほうがいい。ことばにできないなら、顔に出したほうがいい。
風邪をひいたら熱や咳が出るように、飲みすぎたら顔が赤くなるように、イヤなことをされたらムッとする。お顔の赤信号の機能をオフにしちゃいけない。
読んでくれて、ありがとうございます。
ごきげんであることは大事だけど、生きることのほうがもっと大事。
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