ショピングセンターに行くと、ジョン・レノンのアルバム「IMAGINE – THE ULTIMATE COLLECTION 」を視聴している男の子がいた。小学校低学年ほどの小さな男の子だ。
彼は、ジョン・レノンの曲をじっくりと聴くと、まるで温泉に入ったおじさんが「ああ、いい湯」と言うように、「ああ、いい曲」と、独り言を放った。そして、ヘッドホンを外して、清々しく走っていった。
わかるのだ、ジョン・レノンの曲がいい曲だと。
彼が生まれながらクラシック音楽を聴いて育った子どもなのか、そうでないのかわからない。彼が英語を喋ることができるのか、できないのかはわからない。
おそらくだけど、クラシック音楽を聴いて育ったわけではないだろう。おそらくだけど、英語が聞き取れるわけではないだろう。でも、わかるのだ。ジョン・レノンの歌がいいものだと。
子どもだろうが、お年寄りだろうが、人間には不思議とわかってしまうのだ。いいものはいい。わるいものはわるいと。
ギターを弾けるわけでもないのに、いいロックはわかる。ドラムが叩けるわけでもないのに、わるいロックはわかる。包丁なんて握ったことないのに、おいしいものはわかる。パスタなんて茹でたことないのに、まずいものはわかる。
この前、話した大学生の女性は、「子どもの頃にゴッホの絵を観たら、なんだかわからないけど泣いちゃったんです」と言っていた。ゴッホの絵をいいものと思ったのか、わるいものと思ったのかは、わからない。ただ感情が揺さぶられる、とんでもないものってことはわかったのだ。
つくる側にとって、だれもが「わかっちゃう」ことは、恐怖である。つくる側にとって、「わかってもらえる」というのは、希望でもある。
読んでくれて、ありがとうございます。
「わかっちゃう」恐怖と「わかってもらえる」希望のどっちの成分もありながら、The U ウェブマガジンつくってます。
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