人はレッテルを貼るのが好きだ。
あの人って「いい人」。あの場所って「きれいなところ」。あの時代って「おそろしい時代」。
レッテルには、いいものもあれば、わるいものもある。でも、どんなにすてきなレッテルを貼られたとしても、貼られた人にとっては苦しいこともあるんだよね。
ポーランド人の友だちと会っていたときのこと。「日本以外だったら北欧に住めたらいいな」なんてことをぼくが話していた。ぼくは北欧に対して「いい国」というレッテルを貼っていたのだ。特にスウェーデンには「オープンでいい人」が多いという風に思っていた。
すると、「スウェーデンだって安全じゃないんだよ」と友だちが教えてくれた。
友だちが言うには、難民を積極的に受け入れてるスウェーデンは不安定な状況になっていて、国外に出て行く人も多いらしい。実際、スウェーデンにいた友だちの知り合いもポーランドに戻ってきたと言う。
どれくらい危ないかというと、荷物を配達する「UPS」という会社が「荷物を持っていけない」地域が存在するくらい。想像してみてほしい。佐川急便に「あそこは危ないんで行けません」なんて断られることを。
スウェーデンでは「移民」について話をするのはタブーだという。ニュースでは移民・難民が犯罪を犯したとしても、移民・難民がやったという報道はしない。それは、移民・難民とか、もとから住んでいたスウェーデン人とか関係のないことだから。
「なんでタブーなの?」友だちに聞いてみると、それはわからないと言う。
ここからはぼくの勝手な想像だけど「いい国」、「いい人」というレッテルが自分たちを苦しめているんじゃないかなあ。
自分たちは「いい国」であり、「いい人」、だから、困っている難民は受け入れるし、なにかわるいことをしたとしても、それをわるくいうことはしたくない。
他者から期待された「いい人」でい続けるのも、一苦労です。「いい人」であり続けようとするスウェーデン人は、すばらしい。
でも、いい人、いい国であるためにも、タブーと言って口にしないことよりも、移民や難民について数字やデータを使って語る必要があるんだと思います。口にしないのは呼吸しないのと同じで、いつか酸素が足りなくなるから。
今日も読んでくれて、ありがとうございます。
レッテルは窮屈なんだけど、「B型」ってレッテルはけっこう自由でありがたい。