鏡に映る自分を見て、ふと思う。学生時代のときと比べて、お腹がでてきたなあ。胸筋がなくなってきたなあと。
鏡があることで、人の目からどんな風に自分が映るのかがわかる。ガリガリだとか、デブだとか、チビだとか、ノッポだとか。現在発見されているもっとも古い鏡は、紀元前2800年前のエジプト王朝の鏡だという。鏡がなかった時代はどうやって自分を認識していたのだろう。
いやね、鏡を見なくても、周りの人が言ってくれればわかるんだよ。「あんたは不細工だなあ」とか、「あなたはべっぴんさんやね」とか。人は鏡になりうる。
周りの人に「あなた、太ってきてるよ」とか、「なんか、近頃きれいになったんじゃない」と言ってくる人はいるだろうか。いない場合、鏡がない暮らしを送っているようなものだ。紀元前2800年前よりも前の水鏡で自分を覗き込んでいる状態。ユラユラ揺れる水面を見て、なんとなく自分ってこんな感じだと認識している状態。
そして、「自分には鏡となるような人がいる」と思った人は、その人(鏡)は濁ってないだろうか。または目がでっかくなる写真加工アプリのように「きゃー、かわいすぎる〜」と、非現実的な自分を写しこむものではないだろうか。
いいことも、わるいことも言ってくれる人。それが正確な鏡だ。「最近のあなた、正義感が強すぎて攻撃的だよ」とか、「最近のあなた、やさしいね」とか。いい関係性があるから、いいことも、わるいことも言ってもらえる。
そうは言っても、人はみんな偏っている。だから、いろんな人に意見をもらうことが重要なんだろう。でも、多すぎずる鏡(人の意見)は自分がどんなものか、よりわからなくする。
やっぱり、いいことも、わるいことも言ってくれるひとりがいることがありがたい。あなたには、いい鏡となるような人がいますか?
今日も読んでくれて、ありがとうございます。
人という鏡は見た目だけでなく、自分の中身までも覗けるね。