100人いれば100人の答えがあります。「100人100答」は、みんなで自分の考えを答える遊びの場です。
学生のときは、「答えは1つ」だと思ってテストを受けていたけど、オトナになって働いたり、暮らしてみると、「答えって1つじゃない」「だれも答えがわかっていない問題がある」ってことがわかってきました。
「100人100答」では、いろんな答えがあっていい問いを出します。あなただったら、どう答えますか?送っていただいたみんなの答えは、ご紹介します。
「何をもって憶えられたいか」。「知の巨人」「マネジメントの父」と称されたピーター F. ドラッカーさんが著書『非営利組織の経営』で触れている問いかけです。
私が13歳のとき、宗教の先生が生徒1人ひとりに『何によって人に憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこう言った。『いま答えられるとは思わない。でも、50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね』
そして、こう続けます。
「運の良い人は、私の宗教の先生・フリーグラー牧師が問いかけてくれたように、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる」
冒頭に「みんなで自分の考えを答える遊びの場」なんて書いておきながら、なんだかとってもまじめな問いですね。すいません。
でも、この問いに出合えた人を「運の良い人」とドラッカーさんが書いたように、この問いに触れることのできたぼくたちは、どうやら運の良い人です。あとは、自分に問いかけるだけ。
ぼくのなかで、ジョン・レノンさんは、平和の人だった。山本KID徳郁さんは、戦った人だった。さくらももこさんは「ちびまるこ」で、ほっこりさせてくれた人だった。
「あの人はおもしろい人だったね」、「あの人はやさしい人だった」、「あの人はバカな人だった」。。。
友だちに、何をもって憶えられたいのだろう。家族に、何をもって憶えられたいのだろう。みんなに、何をもって憶えられたいのだろう。
別々の場所にいるとき、何をもって憶えられたいのだろう。棺に入ったとき、何をもって憶えられたいのだろう。100年経ったとき、何をもって憶えられたいのだろう。
「何をもって憶えられたい?」今のあなただったら、どう答えますか?
わたしの考えを送る