インタヴューの相手は、アーティストでモデルのベラミー サヤさん。カナダ人で日本人。コドモでオトナ。よわくて強い。そんな境界線の上を歩きながら、自らの頭で考えたサヤさんの言葉は、人のこころを自由で健康にします。
「15歳の自分と今の自分が、ぜんぜん違う人のように感じる」。他人の目を気にしすぎていたサヤさんがどう変わっていったのか。全4回です。お楽しみください。
1998年カナダ、モントリオール生まれ。アーティスト。ライター。翻訳者。モデル。 15歳でモデル事務所に所属し、2016年で都内の高校を卒業。同時にモデル事務所をやめ、9月にトロント大学に入学したが、現在は大学生活再開に準備中。色々な仕事をしながら絵を描いている。
1987年埼玉県生まれ。The U 編集長。イラストレーター。1月15日から原宿の「ビオ オジヤン カフェ」で個展やってます。1年半海外を旅してた。
「自然に」って不自然
マスダ
日本では最近「自分らしく生きろ」って言葉があふれていて、都合よく使われてるなって。「自分らしく」が何なのか、もう少し分解したほうがいいと、ぼくは思ってるんですよね。
サヤ
「自分らしく」って言葉が都合よく使われているの、わかります。日本だけじゃないかもしれないんですけど、「自分らしく生きな」って言う人ほど、「私が思うあなたを演じてくれ」っていう風に聞こえるんです。
マスダ
へえ、おもしろい。
サヤ
「自分らしく生きな」って言ってた人が、「私のために髪を伸ばしてほしい」とか言うんですよ(笑)。
マスダ
それは、ぼくも気をつけなくちゃいけないなあ(笑)。
サヤ
ちょっと違う話になりますけど。モデルやってるとき、「もっと自然でお願いします」って言われるんですけど、そう言った時点で自然じゃなくなりますよね。
マスダ
ああ、たしかに(笑)。
サヤ
ナチュラル・メイクもナチュラルじゃないんですよね。ナチュラル・メイクほど、2時間、3時間かけてやってるんですよ。「やっと、寝起きの顔になったね」って(笑)。
マスダ
2、3時間かけてナチュラル・メイク、不自然ですね(笑)。
サヤ
笑い話になっちゃたんですけど、そのコンセプトっておもしろいなって思ったんですよ。現実って、何なんだろうって。
人の目を気にしていた
マスダ
日本とカナダで文化の違いを感じることってありますか?
サヤ
日本人って、直接言わないじゃないですか。何かをやってほしいときも、遠回しな表現をしますよね。(カナダ人の)父と(日本人の)母の間でも、母は「これをやってほしい」って、あまり口に出さないんですね。わかってくれると思ってるから。
マスダ
日本には、「空気を読む」って言葉もありますしね。
サヤ
それが、英語で言うと「Unspoken pressure」、何も言われていないけど、他の人の目を気にしちゃうことにつながってるのかなって。
マスダ
ああ、日本は「言わない文化」だからこそ、言葉にしないけど、なにか思っているんじゃないかって、プレッシャーに感じてしまう、ということですね。
サヤ
文化の違いっておもしろいですよね。
前の私は人の目を気にしすぎてて、人の目を見て話すこともできず、自分から人と話そうと思わなかったんですよ。15歳のときの自分が、今のわたしを見たら「何が起きたの?」「何でこんな風に話せるようになったの?」って聞くと思います。今は、ふざけすぎてるのかなってくらいに、笑ったり、話すことができるようになって(笑)。
マスダ
カナダってアイコンタクトをしながら話すイメージがあるんですけど、カナダでも人見知りだったんですか?
サヤ
どっちかと言うと、人見知りだったんですけど、日本に来てさらに人見知りになりましたね。
マスダ
何がそうさせたんですかねー。
サヤ
日本の学校って、「勉強、勉強、勉強」じゃないですか。カナダの学校だと、「勉強も大事だけど、それよりも大事なこともあるよ」って感じなんですね。自分の人生の経験のほうが大事っていうか。
マスダ
ああ、勉強よりも。
サヤ
ソーシャルやコミュニケーションのほうが大事。日本と反対なんです。だから、日本の高校卒業後にカナダの大学に行ったとき、勉強には自信をもっていたんですけど、人と上手く話せないことにびっくりしましたね。18歳だったんですけど、みんなコミュニケーション能力があって、大人っぽく見えました。
落ち込みすぎちゃって、休学をして、日本に戻ってきたんです。
マスダ
えっ、コミュニケーション能力の問題ですか?
サヤ
それだけじゃなくて、いろいろあったんですけど。
自分がずっと自分じゃなかったことに気づけたのがそのときでした。日本に戻ってきて、アートやファッションに関わる自分に近い感覚の人と会って「あっ、自分はこれに興味があったんだ、これをやりたかったんだ」ってことを素直に思えるようになってって。
マスダ
少しずつ変わっていったんですね。
自分を好きになってもいい
サヤ
「こうしなくちゃいけない」っていう人の意見は、一つの意見であって。自分の意見は、そういう意見と同じレベルで大切なんだなあって。自分にとっては、自分の意見がいちばん大切なんだなあって。
マスダ
アメリカやヨーロッパだと、映画を見終わったあとに、すっごい話し合いますよね。「おれはこう思う」って主張があるというか。日本の場合、白熱することって少ない気がします。
サヤ
主張する文化がないですよね。こう言われたから、やるみたいな。
すごい批判的に聞こえちゃうと思うんですけど、「日本の学校は人をロボットにするなあ」って、友だちと話したことがあって。
マスダ
人間じゃなくなっちゃうんですか。
サヤ
試験とかも暗記だし、「考えること」をさせるんじゃなくて、「考えさせない」じゃないですか。アメリカとカナダは「自分の意見はどうなの?」って。エッセイとかも多いです。
マスダ
日本の国語って「自分が思ったこと」を答えるより、「作者が言いたいことは?」を答える機会が多いですよね。
日本と海外の教育の違いは、すごい興味があります。
サヤ
偏ってるかもしれないんですけど、友だちの(日本の)メイク学校に行って感じたのが、先生が中学生に話すように、生徒に向かって話してるなあって。先生の意見が大事って感じで。他の日本の学校が、どうかわからないんですけど、カナダの学校は違います。
カナダだと、先生の意見が大事ってわけじゃなくて、生徒が感じたことのほうが大事って感じとれました。
日本の中学校に入ったときはびっくりしました。
マスダ
先生の言ってることが、正解みたいな。
サヤ
「先生が話をしているときに、意見を言っちゃダメ」ってなってるじゃないですか。「わからないことがあったら、授業の後で聞きに来てね」ってことも言ったり。
マスダ
カナダだとわからないことがあった瞬間に手をあげるんですね。
サヤ
競い合うように手をあげたり、質問してます。
日本だと先生の言うことが大事だから、自分の意見を抑えているように見えます。
マスダ
へえー。おもしろい違いですね。
それも「Unspoken pressure」と関係してますよね。誰もそんなことを言ってないのに、プレッシャーを自分で感じて、手をあげないというか。みんなの時間を奪っちゃうんじゃないかって、勝手に思っているというか。
でも、少し授業を止められたからって、正直気にしないですよね。
サヤ
たしかに。
私、日本の教育にすごい影響されていて、カナダに戻ったとき「自分ってすごい静かだなあって」(笑)。びっくりしました。
日本の高校の友だちが、イギリスの大学に行ったんですけど、電話で話してたら「日本って私を静かにしたような気がする」って。私だけじゃないんだなあって。
マスダ
サヤさんがオープンマインドになったのも、最近なんですね。
サヤ
やっと、本当にフリー、、、うーん、、、何て言うんだろう。日本語であってるかわからないですけど、自分は特別じゃないけど、大事なんだって気づけたのが2018年の頭ですね。自分を好きになっても、いいんだって。
泣けちゃうわ。自分で言って(笑)。
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