人間にあって、コンピューターにないもののひとつに、恐怖心がある。
新しい環境に飛び込むこと。人に好きだと告白すること。つくったことのないものをつくること。自分の書いた文章を人に読んでもらうこと。人によって恐怖の程度はちがうけど、どれも勇気が必要なことだ。
コンピューターのように恐怖心がなかったら、あれもこれもできたのになあと思うかもしれない。
でもね、怖いと思うこころがあるから、勇気を出して行動する人に感動するんです。「よくできるなあ。すごいなあ」って。それの代表選手に、闘牛士(マタドール)という仕事がある。いつ自分に突っ込んできてもおかしくない、予測のつかない牛を相手にする危険な仕事だ。その分、尊敬も感動も大きい。
イバン・フンディーニョさんとい闘牛士が亡くなったとき、親友で元闘牛士のホセ・ルイス・セグラさんは「闘牛というのは舞台で主人公が本当に死ぬという作品なのである」と取材に答えたという。
セグラさんは「闘牛士は誰も死と直面していることを知っている。だから、我々の想像の中からそれを取り去ることをいつも望んでいる」「だから、一人でいることを望まない。死について考えないように、いつも同伴者を探すことにしている」と言った。(アゴラより)
恐怖心があるから、人は人と結びつくのかもしれない。
怖いと思うこころがあるから、勇気を出して行動する人に感動する。いっぽうで、自分にはできないと思って嫉妬したりする。人間の感情は実にめんどうくさい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは、どう恐怖心をあつかいますか?