知らないって、強い。
九段下を歩いていると、スズメバチが前を飛んでいる。スズメバチが前を歩く男性のズボンのお尻の部分にひっついたではありませんか。お尻の違和感がスズメバチだと知らない男性が手で払いのける。
食い下がらないスズメバチ。負けずにスズメバチがお尻に食いつく。なぜこんなにも男性のお尻が好きなのだろうか。お尻から、なにかしらのフェロモンが出ているのかもしれない。
男性は、まだスズメバチだと気がつかず、お尻をパンっとたたく。
お尻に触れるなにかがスズメバチだと気がついていたら、きっとたたくことはしないだろう。いや、走って逃げるかもしれない。スズメバチだと知らないからこそ、素手でパンっといけるのだ。
スズメバチが刺すことを知らない子どもも、同じだろう。近づいてい、痛みを知らない小さな手で掴みに行くかもしれない。無知な子どもは大人よりも勇敢だ。
今の時代は知ることが、かんたんにできる。なにかを知るにしても、インターネットでちょちょいのちょい。スマホの上で親指を半径5cm動かすだけで、20,000km先の国のことだってわかる。
だから知らない強みってのが、どんどんなくなっていく。
たとえば、なにか話を聞きにいきたい人がいたとき、昔ならわずかな情報を得ただけで直接会いに行っていたかもしれない。ほかの情報の知りようがないし、それ以上の情報を得られる可能性も少ないから。
でも今は、検索すれば、会いたい人の連絡先が調べれられ、会いに行くよりも先にメールを送るかもしれない。メールを送る前に、どんな人を調べるかもしれない。そうすると、その人は「知らない人とは会わない」なんて言っていることを知ってしまうことだってあるだろう。ならばどうしたらいいのだろう、そうこうしているうちに、会いたいとの熱がどこかへ逃げていき、会いに行かなくなる。
これはひとつの例で、研究者のように対象を知りつくすことで、強くなることだってある。でも、知ることで、弱くなるのが現代だと思う。じゃあ、知らないようにするにはどうしたらいいのかじゃなくて、知っている中でどうしたらいいのかについて考えたい。
ぼくは、知らないふりをするってことがいいんじゃないかと思う。いやね、バカな答えだと思うでしょ。うん、そう、知らないふりをするってのは、バカのボリュームを上げるってことなんです。知ってはいるけど、バカのボリュームを上げて、行動するということ。これをやったら、バカだって言われるかもしれない。それを知りつつやる。今の時代、それが強いってことなんじゃないかなあ。
今日も読んでくれてありがとうございます。
物知りであるより、動ける人になりたいのです。