なにかを「おもしろいなあ」と思うとき、その「おもしろい」には、「おっ」という驚きの感情が含まれている。
そりゃ、こうしたらこうなるに決まっているよなあと、驚きがないものは「もしろい」であって「おもしろい」ではない。こうしたらこうなるという定番や常識から、はみ出すから「おっ」となって「おもしろい」になる。
ところで、あなたが生まれてはじめて口にした単語は何ですか?お父さんやお母さんに聞いてみてください。「ママ」や「パパ」なんて言った人が多いんじゃないかなあ。
アーティストのパブロ・ピカソにはこんな逸話がある。ピカソが生まれてはじめて口にした単語は「えんぴつ」(スペイン語でlápiz)だった。ウソのような話だけど、毎日、お父さんが絵を描く姿を見ていたピカソならありうるかもしれない。
このエピソードのおもしろさは、多くの人が「ママ」や「パパ」(またはそれに近い単語)を口にしているという前提にある。みんなが「えんぴつ」、「ひんけつ」、「きんけつ」なんて単語を口にしていたら、まったく驚きがない。
天然的なおもしろさでなく、なにか、おもしろいことを企てるには前提を知らないといけない。そして、その前提を裏切ること。お笑いの方々がやっていることはこれですよね。
今日も読んでくれて、ごめんなさい。
ふだん、「今日も読んでくれて、ありがとうございます」と書いている「ありがとう」を「ごめんなさい」に変えてみた。企てが読者にバレてしまうと、つまらなくなるね。