「批判する頭のよさより、いいなぁと惚れ込む感性のほうが大事だと思うようになったね」。※
映画『男はつらいよ』の監督でもある山田洋次監督のことばだ。このことばを知ったとき、灼熱の太陽の下で、とつぜん雨が降ってきたような感覚があった。ずっと、このことばを求めていたのだ。
今って、頭はよくすることができるけど、感性を育てることがむつかしい時代だ。
あることに関してインターネットを使って1日中勉強すれば、ある程度語ることができる。海外の有名大学講義をインターネットで受けることもできる。「頭のいい子を育てる」子育ての本もいくつも出版されている。
だから、頭はすくすく大きくなって、チクチク批判する力が身についていく。
でも、感性はどうだろう。ぼくの場合、「感じる」という機能が弱くなっている。
電車の中で流れているニュースを見ていて、その理由に気がついた。アムステルダムのプライド(LGBTQ)パレードのニュースで、みんなの個性的なファッションが写って「いいなあ」と思っていると、アメリカで銃乱射があり、犯人の妹も含む何人もの人が亡くなったという次のニュースが流れてきた。
悲しいニュースで、人が死んでるにもかかわらず、涙が流れない。ぼくのこころは、毎日患者の死に立ちあっている医者のようになってしまった。いちいち感じてしまっていたら、こころが持たないのだ。
今の時代、人が死んだというニュースが当たり前のように飛び込んでくる。メディアの発達によって、どこか遠くで人が死ぬことに、こころが麻痺していく。人を殺すという感覚でさえ、感じにくくなっている時代だ。
むかしは手や刀(ナイフ)で人が人を殺していた。そこには、きっと相手の肉体や表情、血を感じることができただろう。でも今は遠くから銃でバーンだ。相手の痛みも悔しさも感じられない。ミサイルでさえ、小さな会議室のボタンをポチッとするだけだ。
つまり、インターネット上で人が人のこころを殺すことも、痛みを感じにくい。そんな時代だからこそ、頭のよさよりも感性のほうが大事になってくる。「いいなあ」と惚れ込む感性の持ち主が、魅力的な時代だ。
じゃあ、感性を育てるためにどうしたらいいのだろう。いろいろな方法があるんだろうけど、ひとつは「いいなあ」を大事にすることなんじゃないかなあ。「いいなあ」に敏感になること。「いいなあ」を表現すること。
批判する頭のいい人より、いいなあと惚れ込む感性のある人のほうが、いいよなあ。
今日も読んでくれて、ありがとうございます。
The Uのコンテンツ「好き。」で、「いいなあ」を増やしたい。
※『仕事。』川村 元気