アイデアを考えるときの3つのステップ「散らかす→選ぶ→磨く」は、人生のステップにも似ている。
アイデアを考えるとき、1つめのステップとして「散らかす」がある。できるだけ多くの切り口や視点を探す。こんな考え方もあるなあ。こっちから見たら、どうだろうって。
これは人生に置き換えると、できるだけたくさんのことを経験することだと思う。こんな場所があるんだ。こんな考え方があるんだ。こんな感情が自分にあるんだって、経験を積むこと。この「散らかす」作業は、植物における根っこだ。
2つめのステップは「選ぶ」。ことばの通り、散らかしたアイデアの中から「どのアイデアがよろこばれるか」を考えて選択をする。
これは、人生でいろんな経験をしたなかで、「自分のどんな行動がよろこばれるのか」を考え、飯の種になりそうなものを選択することだ。アイデアのときと同じく、「世の中が喜ぶ」つまり『得意』と、「自分が喜ぶ」つまり『好き』の掛け合わせでもっとも高いものはなんだろうと考える。この「選ぶ」って作業が植物における幹になる。
3つめのステップは「磨く」。選んだものを、わかりやすく、美しく、おもしろくしていくために磨いていく。
「これが一番よろこばれて、自分もうれしい」と思うことを、磨いていく。その道のプロフェッショナルになれるよう、職人的な技を磨く作業だ。この「磨く」って作業が枝となって、「磨けた」結果として花が咲く。
ステップ1、2、3は同時になったり、順番が違う場合もあります。「散らかす→選ぶ→磨く」は、基本であって、絶対ではありません。
で、なんでこんなことを書いたかというとね、無理やり選ぼうとしている人を見かけたからなんです。もうこんな年齢なんだし、選ばないとってあせってる人。
「これだ!」に出会えてない場合、やっぱり「散らかす」をもっとやったほうがいいと思うんです。いろんな経験をすることを。
「自分の道はこれだ!」と、「選ぶ」はドラマみたいにわかりやすくないかもしれない。「これ、、、かも」くらいかもしれません。「これ、、、かも」に出会えたら、光に向かって、小さく育てていけばいい。
いい花には、いい根っこがある。いいアイデアには、いい散らかしがある。いい人生には、いい経験がある。
今日も読んでくれてありがとうございます。
孔子のことば「四十にして惑わず」なんてことばに惑わされず、「四十にして散らかす」こともありなんじゃないでしょうか。